(この原稿は、2007年末に戴いたものです。)
PM読者の皆さん、こんにちは。
年末に読まれる方、一年間ありがとうございました。年始に読まれる方、
今年もよろしくお願いいたします。
さて、本好きのへいわ屋ですが、最近はなかなかまとまって読書する
時間が取れず、禁断症状気味に。で、新聞の新刊コーナー走り読みで渇を
癒すこともしばしば。そんな中で気づきましたが、ここ2年ほどの間で「〜の
品格」というタイトルがとても多く出版されていますね。
テレビドラマにもありました。周囲でも、それ以前に比べると、気軽に口に
出して使われるようになりました。個々の内容はともかく、こういうタイトルが
連鎖的に発生するって、何かを意味しているように思えてなりません。
みんな、「品格」に触れたり知ったりしたいのでしょうかね?
それとも誰かが「品格」をはやらせたいのでしょうか?
今になって急になぜでしょうね。
へいわ屋はこの流れにナショナリズムを感じています。
その安直な流行は「品格」の無さを物語っているように思います。
へいわ屋だって、「品」という、眼に見えないものの存在は信じ、とても重い
価値を置いています。「品」って茫洋として、でも確固として崩れないもの。
数冊本を読んだ゛だけでは到底身につかないもの。他者への熱い想いに
支えられるもの。
そう。得るのがとても難しい、価値あるものだと思うのです。「品」に骨格を
与えて見えやすくした言い方。「品」に格付け(ランキング)をした言い方。
それが昨今流行の「品格」の正体じゃないでしょうか。
へいわ屋は皆に「品」をもって欲しい。へいわ屋の考える「品」とは『〜の
品格』のように、「他者と自分は違うんだ」という高慢な差異化や、緩やかな
攻撃を含んだものではなく、優しきものです。
エラい人におすがりして教えてもらうものではなく、自分で模索していつの
間にか身につくものです。
なにより、へいわ屋は品高くありたいです。
【 追悼 】
この原稿を書いている数日前、林功三さんの訃報を聞きました。
へいわ屋は身近く行動することはありませんでしたが、一度重要な場面で
ご一緒する機会がありました。寒い大阪の街を、端然と歩いていかれる後姿を
覚えています。権力に絶対なびかず、静かに理を説く。品ある方でした。
へいわ屋漫筆をほめて頂いたことがあると、PM編集長から初めて聞きました。
遠いところにいかれても、拙稿を見ていただければいいのですが。ご冥福を
お祈りします。
【 編集者 註 】…………… ……………
林功三さんは「『心の教育』はいらない!市民会議」代表。京大名誉教授
(専攻はドイツ文化・社会史)。2007年逝去(享年79)。日独の歴史認識・
戦争責任のあり方の違いを研究。「…ことに日本の戦争責任と「戦後」への
問いから、戦後ドイツの「過去の克服」を生涯のテーマとされてきました。」
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