数日前、大阪の鶴橋を歩いた。鶴橋と言えばコリアンタウンというイメージも
浮かぶが、実をいうと、そのイメージは最近つくられたものである。つい数年前
まではちょっとしたコリアンタウンという雰囲気だったが、数日前訪れたときは、
ものすごく韓国韓国した雰囲気になっていて、観光客が溢れていた。
ニューカマーの店が圧倒的に増え、韓国語訛りの店員の日本語が響いていた。
コリアンタウンという、一つのイメージがマスメディアを通して爆発的に拡大した
結果、都市がイメージを追うように変貌したのだと思う。
鶴橋はもともと近鉄と城東線(現:環状線)が交わるという地理的条件によって、
戦後闇市のまちとして発展した。在日朝鮮人の集住地域である猪飼野
(いかいの:現在この地名はない)は鶴橋からは多少離れている。実は鶴橋の
まちがコリアンタウンとイメージされるようになったのは、ここ20年くらいの
ことである。このあたりの詳細は藤田綾子の『大阪「鶴橋」物語 ごった煮
商店街の戦後史』(現代書館:2005)という良書にゆずるが、都市のイメージ
と歴史がかけ離れている場合が多い。
では、京都の現在はどうだろうか。京都には歴史があるし、様々な文化財が
ある。私たちがそれらに対して浮かべるイメージと歴史的事実が合致している
だろうか。おそらく、私も含めて、それらの歴史を喋れるほど知っている人は
少ないと思う。それはそれでいいと思うが、現在京都ではイメージの押し付けが
強行されようとしているのだ。大問題である。その問題であるのが「ジュニア
京都検定」(ジュニア日本文化検定)である。詳細は【PeaceMedia】にも
載せられているのでそちらにゆずるが、京都のいいイメージばかりを押し付ける
内容である。全く綺麗な都市として、しかも天皇が長く京都にいたことなどを
強調することにより、子どもに誇りを持たせようとする検定である。そのような
もの、つまり「汚い部分」の歴史を覆い隠したものを教えるとはどういうことなの
だろうか。一つのイメージを押し付けられた都市の完成を企んでいる人たちが
京都にいるのだ。
まちは、私たちのイメージや活動によって変化させなくてはならない。行政や
教育によってまちのイメージをつくりあげられたとしたら、そこは私たちのまち
なのだろうか。さらにそれを義務教育で行うことも憤慨である。
都市のイメージが、勝手に役人や財界人たちによって義務教育を通して
つくりかえられようとしていることに対して、少なくとも私は怒っている。
私たちは現在、「ジュニア京都検定」を阻止することによってこそ、新たな
都市空間を夢想できるだろう。
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