寒くなった。冬が訪れようとしている。
寒い、それはすなわちコタツの季節である。私もさっそく、コタツを出した 。
コタツと言えば、ふと石垣カフェを思い出す。そういえば、もう2年も前の
ことである。百万遍にヤグラが組まれ、カフェができていた。コタツとタタミの
インパクトが強く、ものすごくショックを覚えた。それから私は、だいぶん
石垣カフェに通った。なんといってもコーヒーや食料がふんだんにあった。
多少のカンパはしていたが、ほぼタダで酒やコーヒーやご飯を毎日のように
いただいた。鮮烈な思い出である。私は、コタツを意識すると、石垣カフェの
濃厚な記憶に襲われてしまう。
石垣カフェは百万遍にあった。百万遍は学生が多い。そして石垣カフェには
酔っ払いや旅人や修学旅行生などが訪れていた。百万遍の交差点にさらけ
出された空間が石垣カフェで、そこにはコタツがあり、雑多な人びとが流れ
交わる空間の中に、雑多な人びとが留まるコタツがあった。毎日知らない
人と出会った。何回か出会ううちに、おもしろい話ができるようになった。
けっこう会話をした人でも、その人が一体どういう人なのかを思い出せない。
そんな場だった。
そこには本があった。私もたくさん読んだ。本があり、コタツがあり、時々
昼寝もした。そこに留まるのであるが、そこに住むというわけではなかった。
繰り返しになるが、交わる場であり、留まる場であり、同時に留まらない場
として石垣カフェは存在した。
そのような、背反を抱えた存在を支えたのが、学生であるというのが
おもしろい。もちろん石垣カフェは学生以外の本当に様々な人がいた。
だが、学生は京都に留まり、京都から流れている。京都の中でも引越す。
その、柔軟な居住スタイルを、百万遍という交差点にさらけ出した形態が
石垣カフェだった。
大学と石垣と百万遍という、そもそも様々な人が交差していたポイントに、
コタツが置かれた。それによって、豊穣な交流空間が生まれた。現在
石垣カフェは閉店したが、コタツによる交流の可能性を考えさせる。私は
コタツの可能性を追求したいと思う。
コタツは、その正誤に関わらず、発展の原動力である。
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