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 『京都というまちを考える試み。』
  第11回 とにかく鴨川条例廃止を!

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第11回原稿 

 晴れた日曜日、出町柳の三角州でバーベキューをした。気持ちよい晴れた
日には、大学のサークルやら、様々な人がバーベキューをしていた場所だが、今年は人が少ない、というかほとんどいない。日曜日の昼下がり、こんなに
三角州に人がいないことなんてかつてあっただろうか。
バーベキューをはじめてしばらくすると、監視員の方が「やめてください」と
言いにきた。でも生肉を持って帰っても仕方ないので焼き続けた(地域住民
の方が注意する監視員を見て「バーベキューくらいやったらええ!」と叫んで
通り過ぎていったりもした)。
 しばらくすると、なぜだかパトカーが登場した。30センチ×30センチくらいの
コンロ一つでパトカーが来ることは、鴨川条例の異常さを示しているだろう。
警察官の方とも会話をしたら、「条例でバーベキューはダメだが、鍋はOK」と
言い、呆れてすぐ帰っていった。その時にはすでに肉を焼き終えていたから、
残った炭で暖をとりながら(食物を焼かずに炭を起こしているだけならOK
らしい)、鍋をした。結論から言うと、出町柳でバーベキューをすることは可能
である。鍋ならもっと可能である。監視員の方が何度か来るだけで、罰金も
取られないから、ぜひ実践してみてほしい。夏だし。

 出町柳周辺はタダでバーベキューできたから重要なのである。
鴨川条例適用範囲外まで行くなら車を持っていないとバーベキューできない
(お金がかかるし、酒が飲めない)。つまり、タダで鴨川を自由に使用することを
制限する条例なのである。タダ文化であるバーベキューを禁止することは、
橋下大阪府政における文化予算の壊滅的な破壊行為と意味は同じである。
たとえば、鴨川条例の指定範囲は北区から南区くらいまでで、伏見は鴨川
条例適用範囲外である。この事実だけを見るだけでも、観光資本としての
鴨川を維持したいから鴨川条例があるのであり、観光地としての京都で観光
客が「見る」ところだけをクレンジングするという動きが、鴨川条例なのである。鴨川条例は「使用する」鴨川を消してしまい、「消費する」鴨川を上昇させる。
おどろくべきことに、鴨川条例の検討委員会の答申の中には、「バーベキュー、自転車、野宿者」を鴨川からなくしていくという内容のことが書かれている。
そのような条例は、いったい誰のための条例なのか。
 私たちは、すでに鴨川を「使用する」気分さえ奪われ、圧倒的に受動的な
主体として鴨川を「消費させられている」のかも知れない。私たちが、予定
調和的に鴨川を消費させられるということは、つまり鴨川の風景になると
いうことである。しかし文化とは、そもそも消費からは生まれない。能や狂言
や漫才は、そもそも消費される対象ではなかったように、学問の自由や文化
の自由とは、お金をかけずに(つまりお金に縛られずに)物事を考えることから
はじまる。考えるためには言葉が必要だし、本を読んだり、誰かと語り合うこと
も必要である。誰かと語り合うためには、バーベキューのように、時間をかける
ことが必要なのである。その意味で鴨川を「使用」することは、文化の発生源
なのである。鴨川条例は、橋下府政と同じくらい文化に対する攻撃である。

 焼肉屋や焼き鳥屋の煙は、仕方ないし、迷惑になっていれば話し合えば
よい。それと同じ意味で、鴨川のバーベキューの煙は仕方ない。鴨川条例に
対し、多くの人が怒っている。検索サイトで「鴨川条例」とブログ検索すると、
さまざまな人の悲痛な叫びが聞こえてくる。家族で毎年バーベキューをして
いたのに、今年はできなくて残念だ…等等。バーベキューする学生すべてが
マナーとルールを破壊する人間であるかのような迷信がつきまとっているが、
そのような迷信は捨てなければならない。一つの行為を禁止して、一つの
行為を浄化した上で成り立った空間が、鴨川条例下における鴨川なので
ある。タバコの煙がしんどい人の前では喫煙しない、というように、ルール
なるものは、その場にいる人で決めるものだし、地方自治とは、その場に
いる人たちで物事を決定する機関だから重要なのだ。
私たちは、この条例によって、バーベキューしたいなぁという気持ちを持つ
ことさえも、抑圧されているのである。本当に本当に、残念な条例である。

 また現在働いている監視員の方も、コンロ一つくらいの集団は無視したら
いい。たとえば、私の友人は、コンビニ店員をしていたとき、商品を万引き
されて警察を呼んだら「万引きくらいで呼ぶな」と言われたらしい。
この警察官のような柔軟さをもたないと、不特定多数が生活する京都を渡り
歩くことはできない。本当にどうしようもないマナー違反などに対しては、
鴨川条例がなくとも、対策は可能である。本当に左京区一帯を巻き込む
ような煙とか、川の両岸へ響く花火とかは、別段鴨川条例がなくても取り
締まり可能だし、されてきた。あたかも鴨川条例は、そのようなマナー違反者
に対しての条例なのかように語られるが、それは見せかけでしかない。
鴨川条例の本質は、小さなバーベキューすらも禁止し、何かが起こる空間と
しての鴨川を解体して、ただ予定調和的な「消費」の空間に鴨川を作り変える
条例なのである。

 だから鴨川条例は廃止しなくてはならない。
鴨川にいれば、お金を使わずにいろいろできる、という空間がまずないと、
文化も生活も豊かにならないのだから。


 構成:【PeaceMedia】/(C)かげもん 2008年5月記 :


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