★ はじめまして。何色何番(ナニイロナンバー)といいます。
京都で芝居という形で表現活動をしている2人組です。
★ 私たちは、「個人が集まり集団・社会と成っているのに、個人が
無視されがちなのではないか?」という疑問や体験からの実感を
表現する芝居をしています。
私たちは生きています。生きているということは感じることです。
自分が感じたことを無視するというのは、生きているとは言えない
のではないでしょうか。それなのに、社会は時に自分を殺せと
押しつけているように思えてしまいます。どんなに小さなことでも、
気にしたり声に出したりしても良いはずです。私たちは、そのことを
大切にしたいのです。そういった小さなことが私たちの中で蓄積し、
テーマとなり芝居という形になりました。
★ 今まで2人で芝居をしてきたテーマを少し紹介すると、
「私に個性はあるのかと疑問を抱えていること」であったり、
「女性としての不自由を社会から植えつけられていること」であったり、
「迷ったり立ち止まったりする時間も必要なはずだということ」で
あったりします。小さなことからの蓄積が主ですが、社会情勢の中で
生きる私たちにとってとても目をそらせない現実から生まれた
「反戦」という大きなテーマで芝居をしたこともあります。
それらのテーマに正しい答えはありません。そのため、私たちの芝居は
テーマがあり答えのない芝居といえるのでしょう。
★ では、なぜ芝居という形・媒体なのか。私たちの中ではあまりにも
自然な流れで芝居という形を選んでいます。それは自分自身の
声・身体・言葉で直接表現できる形だからなのだと思います。
良く(上手く)出来た瞬間ばかりを観せられない、そこに私たちが
生きていることそのものが感じてもらえます。観る側との距離が、
物質的にも精神的にもとても近く生々しく感じられます。
全てを目の前で、肌で、五感以上の何かで受け渡せるし受け取れること
そのものが実感であり、私たちの「本当の理由」に成り得るのです。
生きていることを表現したいから、生きている私たちを誤魔化せない
舞台にあげているのです。そのため、役を演じるというよりは、テーマの
中で生きている、と言った方が近いかもしれません。
私たちは芝居という時間をも生きていたいのでしょう。
★ そして、テーマのある芝居をいかに観る側に伝えるか、というところも
とても大切だと考えています。決して道徳をやりたいというわけでは
ありませんから、観る側にどこか考える余地がないと押しつけることに
なってしまいます。押しつけは先に述べたように、私たちがされたくない
ことです。ただ、共有できればと、一緒に想像ができればと、そう望んで
芝居をしています。
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11月前半に公演を行ったばかりなので、次回については
半年以内に公演を行いたい、ということしか決まっていません。
くわしくは、決まり次第HP
(http://members.goo.ne.jp/home/ameiro_naniiro)にて
発表いたします。興味を持たれましたら、ぜひ一度観に来て下さい。
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